台風19号で私が学んだこと

台風19号、大変でしたね。

被害に遭われた方にはお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方にはご冥福をお祈り申し上げます。

 

幸い、私の住むところは浸水することもなく、無事でした。

 

さて、台風19号から私が学んだことを結論から言いますと、

「いよいよヤバい」となってからでは身動きがとれない

ということでした。

 

(↓数年後に「台風19号ってどんなだっけ?」となったとき用のおさらいリンク↓)

台風19号まとめ 記録的な大雨・暴風・高潮(日直予報士 2019年10月15日) - 日本気象協会 tenki.jp

令和元年台風第19号 - Wikipedia

 

私は普段は親元を離れて生活しているのですが、今回の台風の際は事前に母の住む家に行って、そこで過ごしました。

自分の住む家も母の住む家も「水害のときはヤバい」と言われているエリアではあるのですが、自宅は1階で母の住む家は高層階、家族といた方が何かと安心、といった理由で母の家に行きました。

以下、ですます体を省いて書きます。 

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7日(月)や8日(火)の時点では、なんだか強い台風が来るらしいぞ、と言われてはいたものの、ここまで大変なことになるとは思っていなかった。10日(木)に友人からのLINEで「最強クラスの台風が来るから、土日はお母さんのところへ行っておいた方が良いかも」と言われてはじめて事の重大さを知った。

11日(金)の夜に電車等を使って母の家に行った。それが良かった。11日の時点で「12日は電車が運休します」との告知がなされた。12日になってからでは行くことができなかった。

母の家は避難所より土地が若干高い。私達は避難所に行かず家で過ごすことにした。 

12日(土)に母が近所のもっと低いエリアに住む知人を家に招いた。知人は夕方に着いたのだが、雨風が強く雨具を着けていても靴下はびしょぬれだった。知人の大きな非常持出袋が、私に危機感を知らせた。

 

それからがもっと大変だった。雨風がさらに強くなり、テレビは非常な警戒をよびかけ続け、自治体からのメール情報サービスは避難勧告を告げ、Yahoo防災アプリからも何回も通知が来た。

 

そして私は知った。「いよいよヤバい」となってからでは身動きがとれないのだ。 

私は自宅が浸水しないか心配した。でも、できることはもう何もない。離れて生活する兄にもメールをしたが、もし兄に何かあってももう助けてあげることはできない。

私はYahooアプリの通知を切り、不安に思いながら布団に入った。眠りにくかったが、少しは眠れた。

 

翌朝は、びっくりするくらいの晴れだった。知人が家を見に行き、何事もないことがわかるとお礼を言って帰っていった。

私達の住むエリアに何事もなかったのは、普段からの治水工事の賜物だと思った。

 

普段からの備えの大切さと、情報の大切さ、時間に余裕をもった行動の大切さを知った。

 

※誤って記事を消してしまったので書き直しました。スターをつけてくださった読者さま申し訳ありません!