自分がすごく頑張っているのに人に認めて貰えないとき、不満になりがち。
でも、自分がすごく頑張ってしていることは、他人ならそんなに頑張らなくてもできることかも知れない。
自分のキャパシティが小さいだけなのかもしれない。
そう考えると、悲しくはなるけれど、人に不満を持つことは減りそうだ。
自分がすごく頑張っているのに人に認めて貰えないとき、不満になりがち。
でも、自分がすごく頑張ってしていることは、他人ならそんなに頑張らなくてもできることかも知れない。
自分のキャパシティが小さいだけなのかもしれない。
そう考えると、悲しくはなるけれど、人に不満を持つことは減りそうだ。
自殺はいけない。
それは現在の社会でのルールのようなものと思っている。
(あと残された人の悲しみの問題もある)
生きるのは辛い。
こんな身体もう嫌だ死にたい、と思うこともある。
ただ「死にたい人は死んでも構わない社会」が望ましいか?といったら、それは一筋縄ではいかない。
社会は今のところ「死んでも構わない命なんてない」という前提でできている。
だからこそ、病気やケガをした人、歳をとって働けなくなった人も支える社会システムがある。
これが「死にたい人は死んでも構わない社会」が到来したら?
それは「死んでも構わない命もある」という前提にひっくり返ってしまう。
そこで社会の役に立たない人がどのように扱われるか、少なくともかなり肩身の狭い思いをするのではないか、と考えるとちょっと恐い。
「自殺してはいけない」社会だからこそ、私のように役に立たない者でも生きていられるのではないか、と表題タイトルにした。
かといって、どんなに歳をとってもどんなに苦しい病気にかかっても技術の限り生きなければならない社会、というのもそれはそれで恐い。
「生きたい」も「死にたい」もどちらも尊重される社会が理想なのかもしれない。
しかしそのとき意思表示もできない命は、どうなってしまうのか。
これからますます高齢者が増える時代、社会はどうなってゆくのだろう。
発達障害の人の体感時間は、一定じゃない。
ゆっくり進んだり速く進んだりバラバラだ。
それを補うための一つの方法として、タイマーやアラームの活用があげられる。
リンクで紹介するアプリは、時報に使ったり、目覚ましに使うだけでなく、Googleカレンダーの予定をその時間になると読み上げてくれるので便利。
アラームの設定も一件ごと/グループごとに細かく設定できるし「第○水曜日」みたいな指定もできるからごみ出しのお知らせにも超便利。
アラームカレンダーPlus
アラームカレンダーPlus (時報機能付きの目覚まし時計) - Google Play の Android アプリ
ネットを読んでいて「ためになるなあ!」「参考になるなあ!」と思うことがたくさんある。
でも「例えばどんなこと?」と聞かれると、「さて何だっけ…」と覚えていないことが多い。
「ためになるなあ!」「参考になるなあ!」と思ったことは、メモやノートにとらないと忘れてしまう。
ここしばらく、前に比べて調子が良い。
瞑想を始めたからなのか、
就寝を早めたからなのか、
なるべく散歩に出るようにしたからなのか、
医師の指示で体重を1~2kg増やしたからなのか、
冷たいものを食べないようにしたからなのか、
チラミンを摂るようにしたからなのか、
何が作用したのかわからない。
もしかしたらその工夫のどれもが合わさって効いたからなのかもしれない。
ある時、悲しいことがあって泣いてしまった(家で一人で)。
悲しい、悲しい、シクシクと
落ち着くまで泣いた。
それからハタと思った。
自分は女だから悲しい時に泣いたりするけれど
これ、男性は、かなりしんどくないだろうか?
誰でも悲しい時はある。
そもそも泣きたい時というのは、耐えられないくらいしんどいから泣きたくなるのであって、
そんな時でも泣くなというのは酷ではないだろうか。
耐えきれないときに無理矢理我慢する習慣がついていたら
そりゃ、なかには妻や子供を殴る人が出るのも無理からぬことではないか。
お酒に逃げたくなる人が出るのも無理からぬことではないか。
泣くことはストレスに対する反応のひとつ。
無理にねじ曲げたら別のひずみが出る。
「男が泣くなんて情けない」という風潮はあるけれど
「人を殴るくらいなら泣く方がまし」
「お酒に逃げるくらいなら泣く方がまし」
という考えの人が多くなった方が
男も女も生きやすい世の中になるのではないだろうか。
以前、近所の神社仏閣によくお参りして、体調の回復を祈っていた。
神様仏様にお祈りをして、自力では回復できない心身を助けてもらいたかった。
それに何より、神様仏様のエネルギーへの期待がなければ、もう足を動かす気力もわかなかった、という理由があった。
当時は散歩をする元気もなかなか難しかった。
近所の神社仏閣まででいいから、歩いて体力を維持すること、これが必要だった。
神秘的な力によるご利益は、あったかなかったかよくわからない。
でも、足を動かして体力を維持するための意欲の素にできた。
これだけでも、立派なご利益だと思っている。