「普通に働いている人」が忘れがちな幸運

普通に働いている人から見たら、私やその他の、病気や障害ゆえに働けない人は不甲斐なく映るかもしれない。

甘えている?気合いが足りない?劣っている?

見ていてイライラする?社会の援助が得られてズルい?

 

でも、ひとつ、頭の片隅にとどめておいて欲しいことがある。

それは、普通に働いている人たちは、恵まれている、ということである。

え?何を言っているのかわからない?

 

普通に働いている人たちというのは、ある一定以上の水準の、身体的能力・知的能力・精神的健康さ、というものを天から授かっている。

え?そんなのあたりまえ?誰だってそうだ?

 

世間の殆どの人は能力や健康さに恵まれているから「このくらい出来てアタリマエ」「こんなのフツー」と思うかもしれない。

恵まれているがゆえに、恵まれていない人の想像がつかないし、アタリマエであるがゆえに、その幸運は忘れ去られている。

でも、世の中には、それらに恵まれない人もいる。

 

能力や健康さの維持向上の努力は認めるけれど、やはりある一定範囲は、天賦の能力に恵まれて成り立っているもので、それが得られたのはたまたまなのだ。

 

もちろん働いている人には働いている人の苦難がある。

だけど、働けない人を謗る前に、どうか思い出して欲しい。

働くということが可能なくらいの能力や健康さを持って生まれることができたのは、たまたまなのだということを。

 

能力や健康さに恵まれない人を見下すのは勝手だけど、その前に、自分は能力や健康さにある程度恵まれたラッキーパーソンなのだ、ということを、頭の片隅にとどめておいて欲しいと思う。