自殺はいけない。
それは現在の社会でのルールのようなものと思っている。
(あと残された人の悲しみの問題もある)
生きるのは辛い。
こんな身体もう嫌だ死にたい、と思うこともある。
ただ「死にたい人は死んでも構わない社会」が望ましいか?といったら、それは一筋縄ではいかない。
社会は今のところ「死んでも構わない命なんてない」という前提でできている。
だからこそ、病気やケガをした人、歳をとって働けなくなった人も支える社会システムがある。
これが「死にたい人は死んでも構わない社会」が到来したら?
それは「死んでも構わない命もある」という前提にひっくり返ってしまう。
そこで社会の役に立たない人がどのように扱われるか、少なくともかなり肩身の狭い思いをするのではないか、と考えるとちょっと恐い。
「自殺してはいけない」社会だからこそ、私のように役に立たない者でも生きていられるのではないか、と表題タイトルにした。
かといって、どんなに歳をとってもどんなに苦しい病気にかかっても技術の限り生きなければならない社会、というのもそれはそれで恐い。
「生きたい」も「死にたい」もどちらも尊重される社会が理想なのかもしれない。
しかしそのとき意思表示もできない命は、どうなってしまうのか。
これからますます高齢者が増える時代、社会はどうなってゆくのだろう。