現代の常識は、未来の非常識!?

価値観は時代とともに変化していく。

現在一般的で常識的な価値観が、未来の世界ではとんでもない非常識になるのではないかと不安に思っている。

 

例えば、昔は「男は外で働き、女は家庭を守る」という時代で、それは当時における合理性をもっていたのだろう。

しかし、今の時代に「男は仕事、女は家庭」なんて言ったらただのひどい差別主義者だ。

他にも、昔は「心の病気の原因は幼児期の母子関係」という説が言われていたが、今では「心の病気の原因は脳内の物質のアンバランス」といわれる。

昔に当たり前とか正しいとされていたことが、現在はとんでもない誤り、という変化が起きたりしている。

 

私は今のところ時代の変化の恩恵を受けている立場だが、未来はどうなるかわからないと思うと、怖くもある。

 

例えば「弱者は社会全体で支えていきましょう」という時代だが、未来の世界ではそれがすっかり変わってしまう時代が来てもおかしくないくらいに世の中の変化はわけがわからない。

 

不安だ。

図書館に行けるようになった

ネットで読みたい本を見つけて、図書館で借りて読むことが増えた。

今の自分にとっては、何気ない変化だ。

しかし、数年前を振り返ると、図書館に行くほどの元気なんてとても無い、という時期も長かった。

それを考えると、自分は少しずつ進歩していることに気づく。

何の成果が得られるかわからないまま散歩を続けていた時期も、無駄ではなかったことに気づく。

本を読んで得られるものは、結構たくさんあることを知った。

人生は少しずつ好転しているのかな?

サプリメントをやめたら机が片付いた

今日の片付け。

 

私の机には、棚が狭くて入りきらない化粧品が出ていた。

 

サプリメントを辞めて、サプリメントが収納されていたスペースに、普段使わない薬を移して、その薬があったスペースを空けて化粧品を収納したところ…

 

机の上がキレイになった!

今日の進歩。

健康食品の闇と光(?)

体調不良を脱するために、いろいろ健康食品を試してきた。

でもあまり効果のあるものは、見つからなかった。

 

健康食品は、法律で効果効能をうたえないために、行間を読ませる手法でアピールしている。

「80歳になっても元気な○○さんは、△△を飲んでいます!」とかTVで見かけるけれど、ならば私が△△を飲んだら○○さんのように元気になれるかといったら、話は別だ。

「大病を克服した□□さんは言います、『健康ってとっても大事なんです』。」というけれど、そりゃ健康は誰でも大事だけれど、○○を飲んだら健康になれるかといったら話は別だ。

健康食品ビジネスはそういう手法をうまく使ってお金儲けをしている。

 

では健康食品ビジネスは悪なのか?といったら、私にはわからない。

 

「コレを飲んだらもしかしたら元気になれるかもしれない」という気持ちは、一時的かもしれないが、生きる希望を与えてくれる。

一時的といっても、健康食品が効くか効かないかを知るためには1ヵ月~3ヵ月かかる。

商品は多種多様であるため、Aを飲んで効果がなければB、Bを飲んで効果がなければC…ということが、いくらでもできる。

 

自殺しないための時間稼ぎにはうってつけだ。

 

医者に行っても良くならないとき、「体調を良くする方法は何もない」と泣いて嘆いて暮らすのが正しいかといったら、わからないのだ。

 

 

ちなみに「体調不良も努力で克服しろ!」という人は、体調不良をよく理解していないと思う。

努力するための最低限の健康状態すらないから、健康食品を飲んで、努力できるスタートラインを目指す、という気持ちは、元気な人は体験したことがないのかもしれない。

 

 

自分のブログがつまらない

自分のブログがつまらない。

何を書いたらいいのかわからない。

 

「何でも好きなことを書けばよい」のだろうけど、あまりうまいことは思いつかない。

あとはひと言ふた言、短い文程度のものが思いつくことがあるが、ブログの「タイトル+本文」というスタイルになじまない(本文を書く前に言い終わってしまうような短いもの)。

 

twitterは現在アカウントを持っていない。他の人のツイートを読むことはあるけれど。

 

面白い事って自分で作らないとないのかも。

片付けられない、3つの理由

子供のころから、片付けが苦手だった。

机の上には物が山のように積まれていた。

「机を片付けなさい!」と親にいくら叱られても、途方にくれるばかりだった。

のちに「広汎性発達障害」の診断がついた。

 

「どうして片付けられないの?」と問われても「どうしてかわからないけれど、どうしても片付けられない」と言うほかなかった。

 

今思い返して、片付けられない理由が、少なくとも3つわかった。

 

まず、どこに何をしまったらいいのかわからない。

次に、狭くて片付けるスペースが足りていない。

そして何より最大の原因、気力のエネルギーが足りていないことだった。

 

この3つが組み合わさって、片付けが途方もない難題になっていたのだと思う。

 

「気力がない」状態は、片付けに関しては子供の頃からだった。

そして稀に、何も言われなくても片付けが出来る時があった。

子供の頃から軽いうつだったのだろうか??

 

 

悲観的になるのは、ガッカリしたくないから

私は悲観的だ。

もし誰かが私の悲観的な考えを聞いたら、こう思うだろう。

「君はどうしてそんなに悲観的なのだ?」

私なりの理由はこうだ。

 

もうガッカリしたくない。

未来に期待なんてしても、叶わなかったらガッカリ落胆して悲しい思いをしてしまうではないか。

それより期待を低くしておいて「叶ったらラッキー」くらいに思っておいたほうが、悲しい思いをしなくてすむ。

 

楽観の後のガッカリなんてもう懲りごりだ。

 

ちゃんと理由があるのです。