ネットで読みたい本を見つけて、図書館で借りて読むことが増えた。
今の自分にとっては、何気ない変化だ。
しかし、数年前を振り返ると、図書館に行くほどの元気なんてとても無い、という時期も長かった。
それを考えると、自分は少しずつ進歩していることに気づく。
何の成果が得られるかわからないまま散歩を続けていた時期も、無駄ではなかったことに気づく。
本を読んで得られるものは、結構たくさんあることを知った。
人生は少しずつ好転しているのかな?
ネットで読みたい本を見つけて、図書館で借りて読むことが増えた。
今の自分にとっては、何気ない変化だ。
しかし、数年前を振り返ると、図書館に行くほどの元気なんてとても無い、という時期も長かった。
それを考えると、自分は少しずつ進歩していることに気づく。
何の成果が得られるかわからないまま散歩を続けていた時期も、無駄ではなかったことに気づく。
本を読んで得られるものは、結構たくさんあることを知った。
人生は少しずつ好転しているのかな?
体調不良を脱するために、いろいろ健康食品を試してきた。
でもあまり効果のあるものは、見つからなかった。
健康食品は、法律で効果効能をうたえないために、行間を読ませる手法でアピールしている。
「80歳になっても元気な○○さんは、△△を飲んでいます!」とかTVで見かけるけれど、ならば私が△△を飲んだら○○さんのように元気になれるかといったら、話は別だ。
「大病を克服した□□さんは言います、『健康ってとっても大事なんです』。」というけれど、そりゃ健康は誰でも大事だけれど、○○を飲んだら健康になれるかといったら話は別だ。
健康食品ビジネスはそういう手法をうまく使ってお金儲けをしている。
では健康食品ビジネスは悪なのか?といったら、私にはわからない。
「コレを飲んだらもしかしたら元気になれるかもしれない」という気持ちは、一時的かもしれないが、生きる希望を与えてくれる。
一時的といっても、健康食品が効くか効かないかを知るためには1ヵ月~3ヵ月かかる。
商品は多種多様であるため、Aを飲んで効果がなければB、Bを飲んで効果がなければC…ということが、いくらでもできる。
自殺しないための時間稼ぎにはうってつけだ。
医者に行っても良くならないとき、「体調を良くする方法は何もない」と泣いて嘆いて暮らすのが正しいかといったら、わからないのだ。
ちなみに「体調不良も努力で克服しろ!」という人は、体調不良をよく理解していないと思う。
努力するための最低限の健康状態すらないから、健康食品を飲んで、努力できるスタートラインを目指す、という気持ちは、元気な人は体験したことがないのかもしれない。
自分のブログがつまらない。
何を書いたらいいのかわからない。
「何でも好きなことを書けばよい」のだろうけど、あまりうまいことは思いつかない。
あとはひと言ふた言、短い文程度のものが思いつくことがあるが、ブログの「タイトル+本文」というスタイルになじまない(本文を書く前に言い終わってしまうような短いもの)。
twitterは現在アカウントを持っていない。他の人のツイートを読むことはあるけれど。
面白い事って自分で作らないとないのかも。
子供のころから、片付けが苦手だった。
机の上には物が山のように積まれていた。
「机を片付けなさい!」と親にいくら叱られても、途方にくれるばかりだった。
のちに「広汎性発達障害」の診断がついた。
「どうして片付けられないの?」と問われても「どうしてかわからないけれど、どうしても片付けられない」と言うほかなかった。
今思い返して、片付けられない理由が、少なくとも3つわかった。
まず、どこに何をしまったらいいのかわからない。
次に、狭くて片付けるスペースが足りていない。
そして何より最大の原因、気力のエネルギーが足りていないことだった。
この3つが組み合わさって、片付けが途方もない難題になっていたのだと思う。
「気力がない」状態は、片付けに関しては子供の頃からだった。
そして稀に、何も言われなくても片付けが出来る時があった。
子供の頃から軽いうつだったのだろうか??
私は悲観的だ。
もし誰かが私の悲観的な考えを聞いたら、こう思うだろう。
「君はどうしてそんなに悲観的なのだ?」
私なりの理由はこうだ。
もうガッカリしたくない。
未来に期待なんてしても、叶わなかったらガッカリ落胆して悲しい思いをしてしまうではないか。
それより期待を低くしておいて「叶ったらラッキー」くらいに思っておいたほうが、悲しい思いをしなくてすむ。
楽観の後のガッカリなんてもう懲りごりだ。
ちゃんと理由があるのです。
印象に残ったブログの話。
くたびれはてこさんのブログ
http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/20100107/1262845748
詳しくはリンクを読んで頂きたく、一部分だけ抜き出すのはためらわれるが、私の心に刺さったのはここ。
“ベッドで寝たくて病気に憧れる人には病気の話がちょっと難しすぎることがあるからです。”
ああそうか、自分は今まで心の中で「病気の人ばかり優遇されてズルい」みたいなやっかみをする人の心の声が響いていたのだけれど(幻聴じゃなくて観念の話です)、そういう声ばかり無限に慮ることはないのだと、気づかされた。